ことば、と、うた、と。出張所 in Hatena Blog

ことば、と、うた、と。-自作詞or詩の朗読とおしゃべり-の出張所です。

2月24日の更新。

ご機嫌、如何ですか?
阿合皇一郎です。

 

ちょうど一週間後が三月三日という事で、今回は、“雛祭り”をフィーチャーした回となっています。
作品のタイトルは、そのままズバリ、「ひな祭りのうた」です。

 

タイトルを付ける作業が、本当に難しくて、最高に幸せなんです。
作品に命が宿る瞬間なので。

 

最初から、タイトルが決まっていて書き始める作品もあれば、タイトルは未定で書き始める作品もあります。
タイトルが決まっていても、決まっていなくても、書き上がった時に、『この作品にはこのタイトルが相応しいのか?』と、作品を俯瞰して、タイトルを考えます。
なので、最初から決まっていたタイトルを変える事もあります。
“タイトル”だけで、二三かそれ以上の案を出す事もあります。
引いたり足したり、かけたり割ったり、果ては、言語を変えたり。

 

今回の「ひな祭りのうた」というタイトルも、幾つかの案の中からのひとつを採用しました。
今回、凡庸なタイトルにしたのには、理由が有ります。
それは、童謡を意識しているから。
何よりも先に解りやすい事、覚えてもらいやすい事が第一条件。
小難しい言葉や言い回し、自分の思い入れや感情等を滲ませ、押し付けるのは、ちょっと違う、と思うので。
ただ、先達が「ひなまつりのうた」という作品を残しているので、表記を「ひな祭りのうた」と、しました。

 

おしゃべりのパートでは、「雛祭りの由来」と称して、おしゃべりをしています。
古くからの伝統行事は、“根”の意図は解るのですが、それを何故、こういう行事にしたのか、という事が不明・不詳・未詳な事が多いですね。
ただ、こんにちまで、色とりどりの時代がありました。
平和な時、動乱の時代、太平の世、戦乱の明け暮れ、貧しさからの復興。
ふたつしかない身体の特徴の分類であっても、『どっちがいい、悪い』と、いった風潮もあったでしょう。
そうであっても、桃の節句端午の節句は、今も日本に息衝いています。
この事を日本人なら、誇りに思わないといけないと思います。
世界では、どちらかが望まれている地域があります。
そういった文化や社会を否定はしません。
違う価値観を受け入れる事も重要ですし、そういった価値観が生まれる背景を知らずして頭ごなしに否定する事は、スマートではないと思うので。
ただ、日本人は、子どもを大事にする文化がある、という事実はプライドとして持っていいんじゃないでしょうか。
そして、日本だけでなく、どちらかが望まれる地域であっても、産まれた子どもを本当は愛したい気持ちに変わりはない、と俺は思っています。

 

少し熱くなってしまいました。
不快に思われた方が居ましたら、申し訳ありません。

 

それじゃ、また近いうちに会いましょう。
約束だよ!!
阿合皇一郎でした。

 

P.S. 出来れば、動画でも会えたらな、と思っています。
      また万が一、動画を観て下さったなら、コメントを頂けると嬉しいのでお願いします。

 

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作風ニついてノ話。

ご機嫌、如何ですか?
阿合皇一郎です。

 

俺が自分の作品の作風について、一言であらわすなら、“陰鬱”。
これは、詩や詞を書き始めた頃から、心の何処かで、常々思っている事。
作品を書き上げて、読み返してみて、まず思う事が、「今回も明るさが足りない」。
テーマとして、明るくなくてもいい作品もあるし、むしろ暗い方が良い作品もある。
なので、常に否定的な意味で思うのではないのだけど、必ず、何処かに影を見つけてしまう。

 

ただ、これは俺が思う事であって、他の人からは、どう思われているのかは、判らない。
勿論、知りたいのですが、作風に言及したコメントが少ないので、判断のしようがない、と言った方が、より現実にそくしているのかも知れない。
きっと自己満足の世界を脱し切れていないのだろう。

 

今は、観て下さっている人が、まだまだ少ない状態。
それが、何よりの証左だと思う。
誰かに勧めたくなるようなチャンネルにしていくには、努力が足りていない。
作風についても、奥行きというか、アプローチ方法を見つけて、拡げていかなくては、“心に+ひと色”はかなわない。

 

物を書く、という事は、シンプル故に、難しい。
だからこそ、多くの作品が生まれているんだと思う。
俺の目標は、服を選ぶように、その日の気分で作品を選んで下さるような作品群を書く事。
なかなか険しい道程ではあると思うけど。

 

作風とは違うが、俺の文章には、句点が多い。
これは、俺の癖。
人間の意識が介在するモノには、その人の拭いきれない何かが、必ず、隠れているような気がする。

 

この記事を読んだ方で、心の広い方が居ましたら、どうか、俺のチャンネルの宣伝をして下さい。
これ以上、図々しい事を言わないうちに、筆を止めます。

 

それじゃ、また近いうちに会いましょう。
約束だよ!!
阿合皇一郎でした。

 

P.S. 出来れば、動画でも会えたらな、と思っています。

 

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2月17日の更新。

ご機嫌、如何ですか?
阿合皇一郎です。

 

水曜22時をまわりました。
ことば、と、うた、と。「#39 君と居たい」を更新しました。
今回は、予定を変更してのお届けとなります。
今回、予定していた分は、来年、お届けしますので、気長に待っていて下さい。

 

ポエトリーリーディングの部分で、一ヶ所、読みと字幕があっていないのですが、字幕の方が正しい表現です。

 

2月は何で28日しかないんでしょうね。
8月と12月の連続した31日ある月の1日を2月に持ってくれば、2月は30日となり、分かりやすくないですか?
ただ、その分、10月以降に31日の月が無くなってしまうんです。
綺麗に分けるって難しいですね。

 

それじゃ、また近いうちに会いましょう。
約束だよ!!
阿合皇一郎でした。

 

P.S. 出来れば、動画でも会えたらな、と思っています。

 

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無在数ト有在数、不加算数ト可加算数。

ご機嫌、如何ですか?
阿合皇一郎です。

 

みなさんは、好きな“数字”はありますか?
日頃から、意識していると人とそうでない人とのふたつのグループに大別できると思うのですが、俺は意識している方です。
意識はしているのですが、数学はとても苦手です。

 

俺の好きな数字は、“5”です。
俺はこの数字を背負って生まれてきたと思っているので、5の倍数回はちょっと気合が入ります。

 

自分語りは置いておいて、数字も大別するとふたつのグループに分けられます。
それは、無在数と有在数です。
早い話が、0か、それ以外か、になってしまいますが。

 

無という存在。
有という存在。
このふたつは、同じ空間には、存在しえません。
“1”という数字の大きさは見かけよりもずっと大きな数だと、最近、痛感しました。
そして、この“1”は、有という存在の始まりでもあり、他の数字とは違った意味合いを持つような気がしてきました。

 

何事も、時と場合により変化するものですが、可加算数であり、不加算数であるのが、“1”。
“1”という数字について、何だか深く考える今日この頃です。

 

それじゃ、また近いうちに会いましょう。
約束だよ!!
阿合皇一郎でした。

 

P.S. 出来れば、動画でも会えたらな、と思っています。

#38のサムネです。

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#38のサムネです。

 

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#38のサムネ(改)です。

ごちゃごちゃとした印象だったので、すっきりと、また、全体的に明るい印象に、改めました。